CATEGORY:合氣道教室 つぶやき

2018年10月23日

魚を食べない理由

さて、タイトル意味不明でしょうが、
とある経験からのお話。(前回に引き続き長文…)

僕が前職で指導にあたっていたキャンプでの出来事。
朝食に出た「アジの開き」を食べない子がいました。

「どうして魚を食べないの?」
「だって、家で出てくる魚には骨がないもん」
「骨のない魚なんていないよ。(笑)」
「そうだけど、家なら親が全部取ってくれてる」
「自分でやらないの?」
「やったことない」
「じゃこれどうすんの?」
「食べられない」
「いやいやいや、食べようよ」
「骨取れないもん」

と、そんなやり取りを覚えています。



突っ込みどころ満載の会話ですが、子ども側の言い分としては、
①:魚は骨があったら食べれない
②:自分ではできないこと
③:①、②の条件が満たされない限り、自分はこれを食べられない
※「食べない」ではなく「食べられない」というのもポイント

というわけです。
当然、「お残しはあきまへん!」ということで、
やり方を教えて骨がスルッととれると、楽しみながら
パクパク食べました。なんのことない話だったんです。

※ちょっと脱線しますが、
アジは骨の付いている方を剥けばすぐ食べれますよね。
これ、知らない子がすごく多いんですよ。
普段魚を食べない人が増えてるのも原因かもしれませんが。



今回ピックアップしたいのは、
これが家庭で培われた能力であるという点。
能力とは何かできることだけではなくて、
できないことも能力と僕は考えています。

基本的に体験・経験を基に培われたり育まれるのが能力。

この子は家庭で、
魚に対して自分では「食べられない」「できない」と判断する能力を
育てられたということです。

親としては初めのうち、
子どもが魚の骨で怪我をしないためにという
判断があったことでしょう。

しかし、おそらくは、子どもの成長してもそれを続け、
「子どもが自分で食べられるようにしてあげよう」
という判断が生まれなかったことが、
結果的に魚を食べる能力を育てる機会を奪ってしまっていた。
ということだと思います。


そしてこの時に、もう一つの気になったのは、
「食べられない」という言葉。

食事を運んでくれた人がいる、
時間をかけてメニューを考えた人がいる、
調理してくれたみんながいる。

その状況で出る言葉ではないわけです。
(アレルギーとか、本当に心から魚が嫌いというわけじゃないので)

食事はたくさんの人の気持ちが
乗っかてることは子どものうちから教えておきたいところですよね。


さて、そんなことでまとめると、
ちょっと教えれば、自分にも、魚にも、みんなにもいいことがあるんです。

「子どもにはできないこと」は当然ありますが、
「しっかり教えれば子どもにもできること」が山ほどあるんです。

大人になるにつれて何かできる能力が育っている僕たちは、
どこか子どもや若者より優れている氣になりますが、
子どもたち、学生なんかの方がよっぽど能力がある。

できない能力をできる能力にする可能性の宝庫なんです。

できないことをできないまま塗り固めることのないように、
できないことをできるように導いて育てるのが、
いわゆる「大人」の役所なのだろうなという風に思います。

魚を食べない理由





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Posted by 合気道 凛心館道場(心身統一合氣道会)  at 00:35 │Comments(0)合氣道教室つぶやき

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