CATEGORY:合氣道教室 つぶやき
2020年09月04日
氣遣い
さて、最近はいつもより多くの場面で氣遣いをしなければいけません。
しかしながら、氣遣いは人にとっては非常に重要な事であり、その訓練の場が増えていると私自身は捉えております。
そうはいっても、やはり氣疲れをしてしまう方も多いかと思いますので、今回、氣遣いについて書いてみました。
さて、ここで1つ考えてみてください。
自分がやっているのは「氣遣い」なのか「氣を使う」なのか。
すぐ疲れてしまう人はおそらく、氣を使っており、消費し、すり減らし、欠乏してしまうのでしょう。
一方で「遣」は「思い遣り(おもいやり)」と同じ漢字です。
私は小学生の時の合氣道の稽古で、「遣る」には送り届けるという意味合いがあると聞いたことを記憶しています。
そんなこともあり、氣遣いとは氣持ちを送り届けているのだと私は考えています。(辞典にはそう書いていませんのでご注意下さい)
今、目の前いる人のため、目の前にいない家族や友人その他多くの誰かのため、氣持ちを送り届けている。
そう思えばこそ、また送り届ける為に疲れてなどいられないわけです。
それから、送り届けた氣持ちは巡り巡っていつか、そのうち、知らぬ間に、見えるのか見えないのか、その辺りはわかりませんが必ず返ってくるのだと信じているというのも、私が氣疲れをしにくい要因かもしれません。
そうは言っても、やはり心がどうも疲れてしまったという時には、私は呼吸法の時間などを少し長めにとって、リフレッシュするようにしています。

しかしながら、氣遣いは人にとっては非常に重要な事であり、その訓練の場が増えていると私自身は捉えております。
そうはいっても、やはり氣疲れをしてしまう方も多いかと思いますので、今回、氣遣いについて書いてみました。
さて、ここで1つ考えてみてください。
自分がやっているのは「氣遣い」なのか「氣を使う」なのか。
すぐ疲れてしまう人はおそらく、氣を使っており、消費し、すり減らし、欠乏してしまうのでしょう。
一方で「遣」は「思い遣り(おもいやり)」と同じ漢字です。
私は小学生の時の合氣道の稽古で、「遣る」には送り届けるという意味合いがあると聞いたことを記憶しています。
そんなこともあり、氣遣いとは氣持ちを送り届けているのだと私は考えています。(辞典にはそう書いていませんのでご注意下さい)
今、目の前いる人のため、目の前にいない家族や友人その他多くの誰かのため、氣持ちを送り届けている。
そう思えばこそ、また送り届ける為に疲れてなどいられないわけです。
それから、送り届けた氣持ちは巡り巡っていつか、そのうち、知らぬ間に、見えるのか見えないのか、その辺りはわかりませんが必ず返ってくるのだと信じているというのも、私が氣疲れをしにくい要因かもしれません。
そうは言っても、やはり心がどうも疲れてしまったという時には、私は呼吸法の時間などを少し長めにとって、リフレッシュするようにしています。

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