CATEGORY:合氣道教室 つぶやき
2020年11月10日
合わせるか、流されるか
その場の雰囲氣に合わせる人
その場の雰囲氣に流される人
同じようですが、全く別物です。
その場に「合わせる人」は、その場の出来事がどうあるべきか自分の中で一定の判断基準を持って「合わせて」います。
つまり、良くないと判断すれば、即座に「合わせない」選択肢をとることもできるのです。
一方で「流される人」は自身の判断基準の中心が定まっていないのです。
結果、その場の流れにされるがままになってしまいます。当然、流されている間は、ものごとの良し悪しなど判断する事も出来ないでしょう。
氣づいた時にはとんでもないところに流れ着いてしまい、私はそんなつもりは…と、なりかねません。
では、流されないためにはどうしたらいいのでしょうか?
これは単純明快です。
中心を定めればいいだけの話です。
先ほども言ったように、中心が定まらないから流されるというだけの話なのです。
流されなければ、どちらに進むかは自由自在です。流れに逆らって進むのは、しばしば大変な事もあるでしょう。しかし、信じたらそこを進めばいいと思います。
では、どうやって中心を定めるのか。
それは、自分自身がどのように「ありたい」のか。が大切です。
どう「なりたい」か、ではありません。
年齢、立場、職業、性別、その他は関係ありません。
自分が、自分として、人としてどうありたいのか。
それを考えて、しっかりと心に決めさえすれば、流される事はないだろうと、私は思います。
人としてどうあるべきかなどと言うと、途端に堅苦しく、窮屈に感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、誰が何を言おうと一度きりの今の人生です。
自分がどうあり続けたいのかに考えを巡らせることは、とても大切なことだと感じます。

その場の雰囲氣に流される人
同じようですが、全く別物です。
その場に「合わせる人」は、その場の出来事がどうあるべきか自分の中で一定の判断基準を持って「合わせて」います。
つまり、良くないと判断すれば、即座に「合わせない」選択肢をとることもできるのです。
一方で「流される人」は自身の判断基準の中心が定まっていないのです。
結果、その場の流れにされるがままになってしまいます。当然、流されている間は、ものごとの良し悪しなど判断する事も出来ないでしょう。
氣づいた時にはとんでもないところに流れ着いてしまい、私はそんなつもりは…と、なりかねません。
では、流されないためにはどうしたらいいのでしょうか?
これは単純明快です。
中心を定めればいいだけの話です。
先ほども言ったように、中心が定まらないから流されるというだけの話なのです。
流されなければ、どちらに進むかは自由自在です。流れに逆らって進むのは、しばしば大変な事もあるでしょう。しかし、信じたらそこを進めばいいと思います。
では、どうやって中心を定めるのか。
それは、自分自身がどのように「ありたい」のか。が大切です。
どう「なりたい」か、ではありません。
年齢、立場、職業、性別、その他は関係ありません。
自分が、自分として、人としてどうありたいのか。
それを考えて、しっかりと心に決めさえすれば、流される事はないだろうと、私は思います。
人としてどうあるべきかなどと言うと、途端に堅苦しく、窮屈に感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、誰が何を言おうと一度きりの今の人生です。
自分がどうあり続けたいのかに考えを巡らせることは、とても大切なことだと感じます。

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