CATEGORY:合氣道教室 つぶやき
2021年08月26日
得るもの、失うもの
久しぶりの更新です。
私はラジオを好んでよく聞いているのですが、その中で、新たな挑戦をするときや生活のリズムを一新するときには「何かを得る分、何かを失う」と言ってたんです。
マンガも好きなので、この文句はよく目にしたり耳にする機会も多いのですが、今回はやけに引っかかってしまいまして。
多分、私はこの感覚ではないんだなと。
唐突に思ったわけです。
私は、
ひとつ手放して、新たにひとつ掴む
って感じなんです。
手放したものは自分の近くに置くのか、はたまた誰かに渡すのか。多分、目には見えなくなったとしても、どっかになにか残ってると思うので、失うわけじゃない。
いつまでも掴んでたら、両手が塞がって、まさに手一杯になってしまうし。どうしても必要ことなら、背中に背負っても、横に置いといても、誰かに預かってもらってもいいよなぁって感覚です。
私は心身統一合氣道という武道に携わっておりますので、その中で学ぶこととリンクさせると、世の中のものは常に動き、入れ替わり、循環しているって考え方があります。
というか、自然ってそういうものですから武道特有の考え方でもないのですけど。
例えば雨が止んでも、雨は無くなるわけじゃなくて、川になって、海へ流れて、また雨になって。そう巡るわけですよね。
それと似た感覚です。
人は何かを選択していくときに、何かを手放して、何かを掴むあるいは手を空けることは必要ですよね?少なくとも私には、絶対必要です。両手に荷物持ちすぎたり、とても重いものを片手で持とうなんてすると怪我するから、バランス取りなさいよって話なんです。
それを失うとか、得るとかいいだすと途端に余計な重みがズシンとかかる。
だから、私にはしっくりこないんでしょうね。
たぶん。
いいじゃん。それはそれで。って。笑
(割り切りすぎ?)
手放したものはどこかをめぐる。
掴んだものはどこかからやってきたものだし。
いつまでも自分のためのものじゃないし、そもそも自分のものではないのかな。
また掴みたければ掴んだらいいし。
という事で、得るとか失うとかにとらわれない方が、気楽でいいよな。やっぱり。
という話でした。

私はラジオを好んでよく聞いているのですが、その中で、新たな挑戦をするときや生活のリズムを一新するときには「何かを得る分、何かを失う」と言ってたんです。
マンガも好きなので、この文句はよく目にしたり耳にする機会も多いのですが、今回はやけに引っかかってしまいまして。
多分、私はこの感覚ではないんだなと。
唐突に思ったわけです。
私は、
ひとつ手放して、新たにひとつ掴む
って感じなんです。
手放したものは自分の近くに置くのか、はたまた誰かに渡すのか。多分、目には見えなくなったとしても、どっかになにか残ってると思うので、失うわけじゃない。
いつまでも掴んでたら、両手が塞がって、まさに手一杯になってしまうし。どうしても必要ことなら、背中に背負っても、横に置いといても、誰かに預かってもらってもいいよなぁって感覚です。
私は心身統一合氣道という武道に携わっておりますので、その中で学ぶこととリンクさせると、世の中のものは常に動き、入れ替わり、循環しているって考え方があります。
というか、自然ってそういうものですから武道特有の考え方でもないのですけど。
例えば雨が止んでも、雨は無くなるわけじゃなくて、川になって、海へ流れて、また雨になって。そう巡るわけですよね。
それと似た感覚です。
人は何かを選択していくときに、何かを手放して、何かを掴むあるいは手を空けることは必要ですよね?少なくとも私には、絶対必要です。両手に荷物持ちすぎたり、とても重いものを片手で持とうなんてすると怪我するから、バランス取りなさいよって話なんです。
それを失うとか、得るとかいいだすと途端に余計な重みがズシンとかかる。
だから、私にはしっくりこないんでしょうね。
たぶん。
いいじゃん。それはそれで。って。笑
(割り切りすぎ?)
手放したものはどこかをめぐる。
掴んだものはどこかからやってきたものだし。
いつまでも自分のためのものじゃないし、そもそも自分のものではないのかな。
また掴みたければ掴んだらいいし。
という事で、得るとか失うとかにとらわれない方が、気楽でいいよな。やっぱり。
という話でした。

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